2024年07月03日(水) 「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずか らせようとして、懲らしめるのです。」へブル12:10
「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずか らせようとして、懲らしめるのです。」へブル12:10
私たちの救われた目的は何だろう。この世の幸せや、悩みの無い、 問題の無い生活を得る事だろうか。しかし、家内安全、商売繁盛、 無病息災、五穀豊穣ではない。主の御前で聖く、傷のない者とされ るためだ。キリストに似る者とされ、聖められるためだ。それが目 的であり、結果的に幸せになるが、それが目的なのではない。 主は、私たちが新生するや、私たちを握り、どんどん取り扱われ る。霊的に成長させて下さるためだ。ハウツーやテクニックで成長 するのではない。成長のためには、痛みが伴う。数々の失敗や挫折 を通る。又、理不尽な目に会う事や、誤解される事がある。どうし てこんな事が、というような事に出くわす。 又、色々な面で失う事があり、損失を経験する。あたかも、主に放 って置かれているように感じることがある。そのような中で初め て、私たちは練られ、鍛えられる。それは楽しいことでなく、辛 く、苦しい経験だ。頑なな部分が削られ、砕かれて行く。それはプ ライドや虚栄心、貪欲、自己中心・・自我が取り扱われる。キリスト に似る者と少しづつ〃造り変えられて行く。 それが成長だ。今、それらの悩みの中にあれば、あなたの願う霊的 成長を与えようとの、まさに祈りの答えだ。試練の渦中は苦しい が、しかし、後に必ず苦しみに会った事は幸せだったと言える。も しそれが無ければ、主をこれほど知る事は出来なかったと。 -------------- 思い通りに行かない事にぶつかると、本当の自分が見える。あの人 を、この状況をと、どこまでも外側の変化を祈ってしまう。自分が 変われるように祈りたい。いつか必ず平安の義の実を結べる。