2024年08月02日(金)

「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。 あなたは、それをさげすまれません。」詩篇51:17



あなたも失敗した事があるだろうか。ある人が大失敗をしてしまっ
た。よく考えもせずした罪の行為に、後悔しても、しきれなかっ
た。自分としたことが、何と愚かな、思慮のない事をしてしまった
のだろう。しかし御霊に示された。想定外の事ではなく、紛れもな
く、それが自分なのだと。愚かな者であり、そのような者なのだ
と。

肉で歩むと、生まれつきのまま、欲望のままに歩んでしまう。人
は、自然にしていると、自己中心に歩む。手痛い失敗を通して、自
分が、いかに罪深い者であるかを知り、心砕かれた。主の十字架
が、まさに自分のためだと知らされた。それまで、罪人と言われて
もよくわからず、ピンと来なかった。

しかし、自分が罪を好み、自然にしていれば罪を犯し、又、罪を犯
しても尚且つ平然としている、罪深さを知った。過失を犯してしま
ったが、痛く辛い所を通ったが、初めて十字架が自分のためである
実感が来た。人前にも、隠しようのない失態であった事も益とされ
た。人に知られた事によって、プライドは砕かれ、へりくだらされ
た。

もし、人目に隠しおおせたなら、懲りずに、次はバレないようにや
ろうと、考えたに違いない。バレさえしなければ問題無いと、どん
なに罪深い者であるかを、主は教えて下さる。罪を認めて、悔い改
めよう。罪の深さと共に、主の恵みがそれを覆い尽くしてどんなに
大きいかを知る。
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ひとつ罪を悔い改めても、また次の罪が示される。信仰人生、自分
の罪の恐ろしさを知らされながら歩んでいく。悔いた心を主は、さ
げすまれない。赦される。何と感謝なことか。