2024年11月02日(土)

「彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すか ら』と言って頼んだ。しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を 返すまで牢に投げ入れた」マタイ18:29


あるしもべに6千億の負債があった。どうやっても到底返済不可
能だ。しもべは猶予を願い、主人はかわいそうに思い、何と全額
免除にしてやった。しもべはどんなに驚き安堵した事だろう。押し
つぶされそうな重荷がきれいに取り去られ、消えた。すると、その
帰りに、百万円の貸しのある相手に出会った。

相手はすぐに返せず、ひれ伏して、少し猶予を乞い願った。しか
し、容赦せず投獄した。それを聞いた主人は怒り、しもべを牢に
投げ入れた。私たちも、もし人を赦さないなら、このようになると。
6千億の負債が免除された。同様に、私たちは主の十字架の贖
いにより、すべての罪がきれいに赦された。「わたしは、彼らの罪
を二度と思い出さない」と、何という驚くべき恵みだろう。

こんなに大きな恵みを受けているのに、少しばかりの他者の負
債を赦せない。それは牢獄に入る事になる。牢獄の中は、四六
時中、憎しみと復讐心で、真っ暗だ。憎しみに囚われ、そこから
出る事ができない。心は苦しい。楽しい時も、楽しめない。結局、
一生その相手に拘束されてしまう。牢獄から出るにはどうすれ
ばよいのか?解決は一つで、赦せない相手を赦す事だ。牢獄
から出る道はそれだけだ。

よくわかるのだが困難だ。自分には出来ない事を、神がさせて
下さる。赦そうとの意志を向けよう。ある人は相手を、「赦しま
すから、私も赦して下さい」の祈りから、主の取り扱いが始まり、
時間をかけながら導かれ、相手を赦すことができた。牢獄か
ら解放された。あなたも赦せない相手がいるなら、祈って行こう。
自分には出来ないが、主が取り扱い、導いて下さる。

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救われても、古い罪の性質、肉があるので、なかなか赦す事
は難しい。自分の力では赦せない。しかし新しい性質が与え
られていて、御霊がおられる。御霊によって可能だ。できない
事を認めて、祈りに持って行くことから、祝福が始まる。