2025年06月01日(日) 「イエスは・・収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、 『わたしについて来なさい。』と言われた。すると彼は立ち上がっ て、イエスに従った」マタイ9:9
「イエスは・・収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、 『わたしについて来なさい。』と言われた。すると彼は立ち上がっ て、イエスに従った」マタイ9:9
マタイは取税人だった。当時、ローマに代わり税金徴収をした のが、ユダヤ人取税人だ。マタイは富を求め、仕事についたの だろうか。同胞から不当に取り、私腹を肥やしていたため、皆か ら、売国奴、裏切り者と嫌悪、軽蔑されていた。不正をし、心は 暗く、虚しく、自己嫌悪にも陥ったろう。財は築いたが、決して喜 び無く、幸せではなかった。 皆から拒絶され、軽蔑され、仲間はずれにされ、心に闇を抱え、孤 独と虚無の中にいただろう。そんな時に、心の中をすべてご存じ の主が、マタイに「わたしについて来なさい」と言われた。すると、 彼は立ち上がり、仕事を捨て、即、従った。彼の心に深い渇きが あったのか、いっさい迷いが無い。 一生に関わる重大な決断だが、聖い方が、自分のような者を招か れた事にどんなに驚き、嬉しかった事だろう。彼は生涯、忠実に 従い通し、マタイの福音書を記する栄誉にあずかった。彼は自身 の事を「取税人マタイ」と言い、隠さずに明記し、へりくだっていた。 又、ルカは、マタイが「何もかも捨て」従ったと記したが、マタイ自身 は記していない。 どんな中から救い出されたのか、闇から光に移された、その恵 みの大きさ、重みを、主の愛の深さを味わい知った。私たちも主が 「ご覧になって」呼んで下さったから、今がある。心の何もかもを ご存じで理解して下さっている。どんな中から救われ、もし救われ ていなかったなら、どうなっていたのか、今一度、思い起こし、主 に感謝を献げよう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マタイの心の闇、虚無、渇きをご存じの主が、従う事も知って おられて、主の方から声をかけられた。私たちの心もすべて ご存じだ。、「御覧になって」おられる。主の御声に耳を傾け よう。御言葉を与えて管さる。