2025年10月03日(金) 「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた・・ 全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」 創世記22:2
「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた・・ 全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」 創世記22:2
主は、アブラハムに実子イサクを、全焼のいけにえとして献げよと 命じられた。「神はアブラハムを試練に会わせた」とあり、これは はっきりと、主からの試練であると。「約束の子イサクを?」主が、 本当にそんな事を言われるのだろうか?自分の聞き違いでは無いの か?だが平生から主との親しい交わりに生きている、彼にはわかっ た。 これは主の御声であり、主からの命令だ。どんなにか苦しく、辛い 悶々の一晩であったろう。目に入れても痛くない最愛の我が子だ。 それも約束の子で、イサクから全世界に子孫が広がる、その子が死 んだなら、子孫の約束はどうなるのか?しかし彼は、祈りの内に 「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる」と信じた。 主はイサクをよみがえらせて下さると。 そして従う決断をした。彼の信仰だった。「翌朝早く」命令を実行 した。御心を確信したなら、すぐ従うのが良い。グズグズしている と、必ず悪魔が来て、狡猾に妨害してくる。従えなくなってしまう。 モリヤの山でアブラハムが刀を取って、ほぶろうとした瞬間、主が 止められた。 「あなたが神を恐れていることがよくわかった」と。主は、イサク の代わりに雄羊を用意されていた。私たちにも、試練を与えられる。 それは信仰のテスト・訓練で、一段階〃成長へと導かれるためだ。 そして、試練の時には「エホバ・エレ」、必ず主の備えがある。 ------------- これは御心と確信が来ても、一刻一刻と思いは迷う。けれど最初の 確信に立ち、最後まで従えるように祈ろう。主の山に備えありだ。 迷いも弱さも主は知っていてくださる。信じて信仰のテストを通ろ う。