2004年05月02日(日)

『イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」』(マタイ19:26)

多くの財産を持っていた若い役人がイエスのもとにやって来た。戒めはよく知っていたが、心の満たし、生き生きとした生きる喜びが無かった。それで、いのちを得るために何をすれば良いかと尋ねた。イエスは心の内のすべてをご存知であった。所有欲が、自我がそれらの妨げになっていた。主は肉欲から解き放ち、満ち満ちた喜びを与えるために、それを献げるよう告げられた。自由を与えるためだ。しかし、役人はイエスより富を選んだ。そして主のもとを去った。そうではなく、主のもとにとどまり、主に助けを求める事を願っておられるのだ。自分には富を手放す事が出来ない事を認め、主に助けを求める事が出来たのだ。主は祈りに答え、変えて下さる。
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役人は所有欲であったが、満ち満ちた喜びを妨げているものが一人一人違う。自分は神との間を妨げている欲望は何であろう。その妨げを献げる時、心が満ちる。献げる事ができなければ、その事を神に申し上げる事だ。