2004年07月03日(土)

「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた」(ルカ15:28)

息子が戻った時、父は大喜びだった。盛大な祝宴を開いた。畑仕事をしていた兄が、くたくたに疲れて空腹を抱えて戻った。すると、楽しげな音楽に踊る笑い声が聞こえて来た。イライラしていた兄は弟息子が帰り、パーティを開いていると聞き、怒り心頭に達した。自分は毎日毎日一生懸命に働いているのに、この道楽の放蕩息子のために馬鹿騒ぎをしている。弟の顔を見るのも嫌だった。怒りと嫉妬が爆発した。父はどちらも可愛い。兄をなだめる。兄の高慢、妬み、冷酷、非情の本性はこの時暴露された。外側、真面目な生活をしていても心の中は冷酷冷淡。私達の心はどうだろう。神は外側でなく心を見られる。自らの本当の姿を知り、神に変えていただこう。
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父の一番近くにいながら、心は遠く離れていて、何の喜びもなく不平不満で一杯。父の心が、愛がわからない。教会の中にいながら、御父から遠く離れている。正直に自分に向き合い、心の底にある妬み、虚しさ、怒り、喜びの無さを認めて、ありのままの気持ちを神にぶつける事だ。そこから初めて神との生ける交わりが生じる。