2004年10月01日(金)

『「あなたの神である主を試みてはならない」』(マタイ4:7)

教会に来て救われた、ある人が、帰宅すると救われた感じがしない。再度、牧師から御言葉を語られ、救いを納得。しかし、帰宅すると又、元のもくあみ。何度も繰り返すので祈った。すると、しるしを求め、神を試みている自分の罪を示され、その時、動く事のない確信を得た。私達はどうか。祈りが答えられたら、神が自分を愛している事を信じる、そうでなければ信じない。つまり、神が自分の願いを叶えてくれたら、納得する。そうでなければ納得しない。自分が中心。これは、納得するのは、自分の思いが叶うという事だ。だから、思い通りでない、別の形で、神がどんなにみわざをして下さっても、決して納得しない。そうなら自分を神の上に置き、自分のために神を利用している事だ。そうでなく、私達は神に従う者だ。私と神との間にあるものは「信頼」、信頼関係だ。
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自分の不信仰を棚上げにして、しるしを与えて自分を納得させるよう、神に要求までする。恐ろしい態度だ。神は極みまで愛していて下さる、最善をして下さる、ご計画をお持ちであり、試練は祝福、「わたしを信じなさい」・・どんな時も真実なお方を「信頼」していよう。心は安らかだ。