2004年11月01日(月)

「さまざまな試練の中で、悲しまなければならないのですが、信仰の試練は、金よりも尊いものであって」(Tペテロ1:6)


私達の信仰を「金」にすると言われる。どのようにして?試練によってだ。金は火によって精錬され、純化される。つまり、純化されるために、火がどうしても必要だ。私達の信仰も同様だ。不純物が一杯ある。普段は気づかないが、試練によって、苦しみの火の中を通る時、様々な不順なものに気づく。何を求めて生きているのか。平穏無事、安堵、ただただ問題がないようにとの本音に気づく。家内安全、交通安全の信仰宗教と何ら変わりない。平安や喜びという利益を求めている。いかに体面、体裁を重んじているかに気づく。プライドや虚栄心にも気づく。これらはしっかりと内面にあるが気づかない。火の精錬を通して、それらが聖められる。試練は必ず祝福。
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試練に会う時、自分の中の本音と建前が露にされる。思い通りに行く事しか望んでいなかった自分、つぶやく自分、決して従えない自分に気づかされる。試練を通し気づかせて下さった神様に感謝だ。