2005年03月02日(水)

「むしろ、耐えることのできるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(Tコリント10:13)

ある夫婦が、子供を交通事故で亡くした。悲しみに打ちひしがれた。しかし、深い悲しみにある夫婦を丸ごと抱いていて下さる主を感じ、悲しみの中にも大海のような平安と慰めを経験した。補償金が入った時、主のために、子供のために使いたいと祈り、導かれて小さな集会所を建てた。牧師に来てもらい、そこで、子供や大人の集会が開かれた。その地区の子供達が救われ、大人が救われて行った。主は夫婦の心に新たな喜びを与えて下さった。婦人に会った時「心が平安で守られています、本当に感謝なんです、感謝で一杯なんです」と証しされ、心が恵まれ、引き上げられるようだった。どんな時も、永遠の腕が下に。耐えられない試練はなく、逃れの道が必ず与えられている。
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試練の中は痛いので、自分の事しか考えられない。脱出の道は、神のみこころをひたすら考える事だ。自分に焦点を当て、自分自分となって行くと、自己憐憫に陥り、神から離れて行く。神を選択して行く時、自分も周囲も栄光を見て行く。