2005年04月02日(土)

「何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた」(ルカ15:14)

神の愛を知りながら、肉欲に歩む時、神は愛す
るうゆえに懲らしめを与えられる。目的は神に
立ちかえるようにだ。最初は軽く頭をコツンと促
される。それで気づいて立ち返る事を望んでお
られる。それでも心を頑なにするなら、一発ガ
ーンと来る。自分の身に痛い事が起こる。それ
でもまだ頑なに自分の道を行くなら痛い鞭が臨
む。しかし、それはどこまでも愛だ。心が砕か
れ素直にされて、神に帰るようにとの配慮だ。
なぜなら神のもとにいる事が一番の幸せであ
るから。あなたは今、物質的、精神的飢餓状態
にあるか。神を求め、神により頼め。神は溢れ
るまでに満たして下さる。すべての必要を与え
て下さるのは神だ。飢餓が臨んでいるか。神を
切に求める時だ。
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ききんは神の御手だ。必要なのは神。神に立ち
返るためだ。環境に困難が臨み、又、霊的に満
たされず、心悶々、カラカラの状態。問題点が
わからず、的はずれの方向に迷い込むが、求め
るべきは「神」だ。