2005年05月03日(火) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(ルカ9:23)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(ルカ9:23)
あるゲームがあって、それは自分の陣地にお れば安全、しかし点は取れない。安泰だが勝 利も無い。霊的生活も同様だ。友人を作って、 証しして行く事は自分が傷つく事もあるし、 リスクを伴う。それが嫌で、対人関係を避け て自分の居心地の良い陣地から決して出ない。 主のために、時間、労力、金銭等の犠牲を払 うのが嫌で、居心地良い陣地を決して動こう としないか。自分の陣地は安楽だ。傷つく 事もないし、犠牲を払う事も要らない。しか し、喜びや成長も無い。今、なすべき事を示 されているか。陣地から一歩踏み出さなけれ ばならない。対人関係の摩擦や、重荷を共に 負う事や様々な困難もあるだろう。しかし、 あなたは必ず成長する。そして、神の国は前 進して行く。神のみこころが成し遂げられ、 栄光が現される。今、示されている事がある なら従おう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 肉はいつも楽な道を安楽を求める。しんどい事 は嫌だ。しかし、どんな犠牲を払おうと、神の 御旨を選ぶ時、心深くに真の喜びと平安を経験 する。クリスチャンは損得や苦か楽かで選択し ない。神に焦点当て、みこころを選ぶ。