2005年07月02日(土)

「もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」(マタイ5:24)

もし、ギクシャクした関係があるなら、礼拝の途上でも
和解が先だという事だ。なぜなら、その礼拝は神に受け
入れられないからだ。又、サタンに足場を与え、サタン
の働く機会を作ってしまう。こちらがまずへりくだる事
だ。自らの非の部分を謝罪する事。相手にも非があるか
も知れない。しかし、それは相手と神との問題であって、
自分には関係が無い。ある母娘が大喧嘩になり、娘はド
アを蹴散らして登校。母親は怒り心頭。混乱の平安のな
い心が助けらるよう祈った。すると、娘が思い通りにな
らない事への不満、又娘の言葉に傷つき赦せないでいる
事を示された。悔い改め、娘にも謝った。その時から母
娘関係が変わった。娘も謝って来た。相互理解が生まれ、
双方が相手に耳を傾けるように変えられて行った。今、
心に赦せない思いがないか。
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言い訳や弁解は山ほど出て来る。相手の非も事実だ。し
かし、一切の弁解をせず、自分に関する非だけを認めて、
悔い改める時、大きな喜びと平安を経験する。相手の非
を見せてくるのは祝福を妨害するサタン。