2005年11月02日(水)

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」(ヨハネ15:13)

友人の属する教会の牧師は、イラクへ
教会設立の手伝いに行き、銃撃を受け、
帰らぬ人となった。危険を承知の上で、
神の導きを確信しての援助だった。一粒
の麦となり、イラクのその設立された教会
には救われる人々が起こされて行った。
母国の教会でも教会員達は深い悲しみの
中でリバイブされ、人々が救われて行った。
私達は、彼のような犠牲を払う機会は無い
だろう。しかし、平凡な日常で周囲の人々
のためにちょっとした犠牲を払う事が出来
る。ちょっと譲ったり、自制したり、忍耐
したりだ。日常生活で自分に死ぬ事によっ
てだ。愛する人に思いやりの言葉をかけた
り、相手の喜ぶ事をして主の愛を表す事が
出来る。あなたは今日、目の前の人にどの
ように愛を表せるだろう。それは必ず実を
結ぶ。
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抽象的観念的になら世界中でも愛せる。目の
前の小さな具体的な事が肝心だ。自分も疲れ
ているが、優しい言葉をかける事、少し時間
をさく事、そんな小さな事だ。必ず潤いと喜
びが流れ出る。今日、意識してみよう。