2001年06月03日(日)

「信仰は望んでいる事がらを保証し目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

神は時に、奇跡をして祈りに答えて
下さる。しかし、私達が奇跡に心を
奪われる事は望んでおられない。
王室の役人が、病気の息子を癒し
て欲しいと、イエスのもとへ来た時、
あなたは奇跡を見ない限り決して
信じないと、柔らかくたしなめられた。
尚も彼の強い求めに、帰りなさい、
息子は直っていると告げられた。
父親はこのイエスの言葉を信じた。
見ていないが信じた。なぜなら、帰
途についたという行動に表れてい
る。そして、途中でしもべを通して
息子が癒された事を聞く。その時刻
は、イエスの言葉を受けた同時刻
であった。私達は見るところによっ
てでなく、信仰によって歩んでいる
と、聖書は言う。まだ目には見えな
い先に、イエスの御言葉を信じる
事、それが信仰である。信じるとは
目に見えない事を見ることである。
奇跡を見れば誰でも信じる。しかし、
目に見えるところでなく、御言葉を
信じて歩む事こそ信仰の歩み。