2006年09月02日(土)

「私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです」Tコリント11:32

もし、幼児がストーブを触ろうとしたら、
親はバシン!と力一杯叩いて、手を払いの
ける。次に決して触れないようにと、かな
り痛い思いをさせるだろう。幼児は恐くて
痛くて大泣きをするが、やけどから守られ
る。痛いので今後近づかなくなる。これは
親の憎しみではなく、愛だ。主の懲らしめ
も同じだ。その時は必ず痛い、悲しく、苦
しみが伴う。しかし、それは主の愛であり、
私達のためだ。もし、放任されたなら、そ
のままストーブに手を突っ込み、どんな大
事に至るだろう。今、主の懲らしめがあな
たに来ているか。大きな危険からあなたを
守るためだ。又、間違った道から戻される
ためであり、聖めるためだ。何度、痛い目
に会わせられ、自分の道を行こうとする高
慢から守られた事だろう。自分でどうにも
ならない頑なな心が、懲らしめにより砕か
れ柔らかくされて来た。懲らしめは大きな
益で、愛だ。
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御心でない道に進んでいて、自分では良か
れと思っているので、わからない。主がス
トップをかけて下さるのは愛だ。日常で大
きな事、小さな事に主の阻止を認め、方向
変換しよう。安全で平安な御心の道へ導い
て下さる。