2007年04月01日(日)

『神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか」』創世記3:9    

                           
アダムとエバが、善悪の知識の木の
実を食べた時、罪が入った。彼らが
主の声を聞いた時に、以前あれほ
ど慕わしい麗しい御声だったのに、
恐れて避け隠れた。主は、その時
に「あなたは、どこにいるのか」と問
われた。人は心にとがめがある時、
神を避けて隠れる。善悪の知識が
入ったので、罪を犯したゆえ、神に
顔向け出来ない事を知った。私達も
経験する。余りにも自分はダメで
失敗だらけで、罪ばかり犯し、神に
近づけなくなる。距離があるのだ。
どうにもできず近づけない私達に、
なぜ隠れているのか、なぜ失敗が
いけないのかと問うて下さっている。
神は「あわれみで胸が熱くなってい
る」お方だ。十字架に神の痛いば
かりの愛と完全な赦しがはっきりと
現されている。この私のために死ん
で下さったお方がいる、ここに立つ時、
自分が良い時も悪い時も、どんな
中でも立てる。「あなたはどこに
いるのか」自分を見て落ち込んで
いるか。十字架の愛と赦しに立ち
返ろう。全面的に受け入れられ、
愛され赦されている。
・・・・・・・・・・
ダメなままでよい。おるべき場所は
今日も十字架のもとだ。愛と赦しが
溢れ流れて出ている。「全き愛は恐れ
を締め出す」恐れを取り除くのは愛だ。
身に浴して受け取ろう。