2007年09月02日(日) 「人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても今はもうそのような知り方はしません」Uコリント5:16
「人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても今はもうそのような知り方はしません」Uコリント5:16
パウロは、コリントのクリスチャン に向けて語った。「人間的な標準」 とは「肉」によってであり、この世 の価値観だ。新しく生まれ、クリス チャンになっても、この世の価値観 で生きている。生まれつきのままで、 人や自分、主キリストをも見ている。 だから主がわからない。目に見える もので判断する。人や自分を能力や 才能、持っているもので量ってしま う。人と比べて劣ると劣等感に陥り、 人より優ると優越感に浸る。それは この世の見方で見ているからだ。そ の目が、価値観こそが問題だ。人の 行為は、その人の価値観に基づくの で、価値観が重大だ。人格と人生を 形造ってしまう。人が変わって行く のは、価値観が変えられて行くこと だ。御言葉をよく聞き、御言葉に従 う時に、神の価値観が培われて行く。 新しい価値観は御言葉から来る。不 意の事態が起きた時、肉の反応は おじ惑い、恐れ、不安、思い煩い、 落ち込みだ。しかし、御言葉は「イエ スはしようとしている事を知っておら れる」「わざわいではなく、平安を 与える計画」「あなたのために立て ている計画」「万事益」「御子といっし ょにすべてのものを恵んでくださる」。 日毎に御言葉の糧を食べ、御言葉 を信じて行く時、御霊により、発想、考 え方、思考パタンが変えられて行く。 御霊と御言葉で古い価値観が変えられ て行く。私たちの価値観はどうだろう。 ・・・・・・・・・・ 人は価値観が変わる事によって、変え られる。自分の中の依然、根にある古い 価値観に気づけるように。その部分に気 づけて、御霊に拠り頼み、御言葉と根こ そぎ置き替えて頂こう。