2007年12月03日(月)

「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」マタイ19:19

全世界を愛するのは簡単だ。抽象
的、観念的な頭の中だけの愛だ。
結局は愛してなどいない。全人類は
愛せるが、目の前の人を愛すること
ができない。愛したくない自分に出
会う。どれだけ頑張っても愛せない。
強烈な自我に阻まれる。まずその事
を神の御前に認めることだ。ある人
が、職場に、どうしても嫌いな相手
がいた。心は悶々と苦しい。職場を
辞めようかと思うが、逃げても次の
職場に、必ず別の「あいつ」がいる。
逃げる事はすまいと思った。しかし、
「愛せるように」と幾ら祈っても聞
かれない。ある時、祈っていて自分
の本音に気づいた。「愛したくあり
ません。嫌です」と正直に自らの本
音を告白した。その時から、祈り
が聞かれた。自分が変えられて行
った。祈りつつ御霊に示されるよう
行動し接して行った。愛するとは、
感情でなく、信仰による行動だと
学んで行った。すると、不思議に
感情も変えられて行き、相手が
嫌でなくなった。愛する事は幾ら
頭の中で考えていてもわからない。
どうにもならない。御言葉に従い、
実際に行動する時、わかってくる。
愛するとは、感情を横において、
信仰により行動して行く事だ。神
はそれを、愛したとみて下さる。
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ペテロは感情に関わらず、主のお言
葉ゆえに網を下ろした。感情と思い
は反対向いていたかも知れない。で
も、主に従い行動した。ペテロは変
えられた。愛することは、感情で
なく信仰による行動だ。