2008年01月03日(木)

『「主よ。この人はどうですか」・・「あなたは、わたしに従いなさい」』ヨハネ21:21

ほとんどの人が、心の内では自分に無
いものを求めていると言われている。
「自分も〜〜のようであればいいの
に」と。違う境遇や、違う成育歴や、
違う才能や性格を。しかし、それなら
自分を否定することになってしまう。
バラが百合になりたい、足の裏が目や
口になりたい・・と。一流レストランは
それなりの、下町食堂はおふくろの味
の、それぞれの良さがあり、特質があ
る。比較の問題でない。その事は、頭
ではよくわかるのだが、頭を素通りし
て、心の根にはしっかり比較があった
りする。人と比較し、人を羨んでいる
なら、まずそれを認めよう。無い振り
をせず、あいまいにせず、自分の羨望
や妬みをきちんと認めよう。そこから
新しい歩みが始まる。自分が誰それの
ようになろうとするのでなく、人を真
似るのでなく、神が、代わりが決して
ない独自なものとして創造して下さっ
た自分を生かして行く。その事を、祈
り求めよう。神が創造されたという事
は、代わりがないという事だ。人のよ
うになるという意味では、決して自分
を変える必要はない。与えられた賜物
が更に磨かれ、品格が更に主に近づけ
られて行くという意味では、変えられ
て行かなければならない。自分の視点
が違うなら、御霊に修正して頂こう。
その時、喜びをもって生きて行ける。
・・・・・・
「〜のようであれば」と思っている自
分を認める事から始めよう。主が創造
して下さった自分自身を生き生きと生
きて行ける。主に「従って行く」時、
隣の人のようでなく、自分らしく開花
し且つ主に似せられて行く。