2008年03月03日(月)

「・・わたしの時はまだ来ていません」ヨハネ2:4

婚宴の席で、ぶどう酒が無くなった。
当時の披露宴では、ぶどう酒は重要で、
途中で無くなるなど、主催者の取り返
しのつかない失態となる。心配し配慮
したマリヤが、主に「ぶどう酒があり
ません」と言った。主イエスに言えば、
何とかなるとの心だったに違いない。
しかし、主はマリヤの言葉によってで
はなく、御父の御心によって動かれる。
「わたしの時はまだ」との言葉に、し
かし「あの方が言われることを、何で
もするように」と手伝い達に告げたマ
リヤは、主が最善をして下さると信じ
た。結果的に主は奇跡をされ、上質の
ぶどう酒を備えて下さった。信じると
は、主にいっさいを任せることだ。
「時」も主の御手の中だ。しばしば祈
りの中でも、早く答えが欲しくて、早
く早くと焦る。時を待てない。待てな
いので、絶えず不安と思い煩いに襲わ
れる。いつも欲求不満状態だ。委ねる
事ができないところに原因がある。又、
実際に、主の時を待てないで、自分で
行動してしまう。自分が良いと思う事
を、自分の思いで、自分の思う時に行
動する。そして失敗してしまう。アブ
ラハムが約束のイサクを待てないで、
イシマエルを生み出したように。信じ
るとは委ねること。自分が委ねられな
いのは、信じられないからか、心にあ
るものをはっきりと知ろう。信じられ
ない事を認める時に、上からの信仰が
与えられる。
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委ねるためには、信仰が必要だ。主が
必ず水をぶどう酒にしてくださったよ
うに信じて祈っていこう。信仰によっ
て委ねる時、すでに得たりの確信が与
えられる。