2008年06月02日(月)

「見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる・・従わないことは偶像礼拝の罪だ」Tサムエル15:23

サウル王はサムエルにアマレク
を打ち、すべてのものを聖絶せ
よとの主の命を受けた時、命令
に従い戦闘に行ったが、アガグ
王と肥えた良い家畜を惜しんで、
つまらない値打ちの無いものだ
けを聖絶した。サウル自身の欲
だった。どうでもいい物は神に
献げ、値打ちのある良い物は自
分のために取っておいた。戦勝
記念碑を立て、自分の名誉と満
足に酔っていた。サウルの本性
を露呈した。サムエルに指摘さ
れると、悔い改めどころか、
「私は主のことばを守りました」
しかし、「民は」と、民のせい
にし、民に責任転嫁する。民が
家畜の良いものを惜しんだから
と。そして、それは主にいけに
えを献げるためと、更に正当化
する。主に聞き従うのではなく、
自分の判断、自分の良いと思う
こと、自分の欲望に従って行く。
私たちの日常はどうだろう。神
の御心がわかっているが、自分
の欲の方へ行きたい。御言葉は
そう言うが、この方法の方がい
いのではないか、どう見てもこ
っちの方が得策にしか見えない。
又、自分の都合の良い時、気の
向いた時だけ従うが、自分の損
になる時、犠牲が大き過ぎる時
は従わない。サウルは従順が試
みられ、失敗した。私たちはど
うだろう。主は御声に従うこと
を求めておられる。今、従順を
目の前に求められているか。自
分の損得、好み、都合という、
サタンの声を閉め出し、従おう。
大きな祝福にあずかる。
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み言葉に従い通すなら、世の価
値観や自分の欲から守られる。
私達の本性はサウルと同じだ。
み言葉よりも自分の都合を選ん
で行きたい者だと、いつも覚えて
謙遜に従おう。