2008年09月02日(火)

「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」イザヤ48:17

私たちは、自らの進むべき
道をどのように知れるだろ
う。神は導きの主であり、
必ず私たちを導かれる。神
の導きが無ければ、進みよ
うが無いからだ。神の導き
を真剣に求める人々に、神
は語りかけ、御心の道に導
かれる。御声をかけられる。
神は色々な方法で語られる。
通常、聖書の御言葉を通し
て語りかけられる。デボー
ションの時に、聖書を読ん
でいる中で、その箇所を通
して語られる。この経験は
多いかも知れない。また、
礼拝メッセージを通して語
られる。祈って求めて、礼
拝に臨んだ時に、メッセー
ジを通して求めていた御心
を知る、これも時々経験す
る。又、ある時は、祈りの
中で、思いが浮かんで来る。
ある事の導きを求めている
と、祈りの中で、ふっと脳
裏にこれはこのようにすれ
ばよい、あれは、あのよう
にすればよいとのアイデア
が浮かぶ。これも神の語り
かけだ。又、環境は、はっ
きりした神の御心が示され
ている。環境が開かれれば、
ゴーサインであり、閉じら
れれば、御心ではない。御
言葉や祈りによる平安やそ
れらを併せて状況を見ると、
御心がわかる。神の語りか
けだ。又、ある人々の助言
を通して、神は語られる。
又、何げない交わり、語ら
いの中で、御霊により示唆
が与えられる事もある。あ
りとあらゆる方面から神は
導かれるので、耳を澄まし
ていよう。神は御声をかけ
られる。導きの主だ。
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導きの主が、私達に御声を
かけられないはずがない。
自分の思いばかりを祈って
いないか、捕われていない
だろうか。導きの最初の一
歩を主は待っていて下さっ
ている。