2009年01月01日(金)

「主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない」申命記8:2



イスラエルの民は出エジプト後、荒野を通って、神からの訓練を受けた。その理由は「あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」

人は苦しい試練の時に、本性が出る。圧迫され、行き詰まった時に出る姿が自分の本当の姿だ。それは普段から、順境の時にも心の底にあるが、出ないだけだ。

不満、愚痴、怒り、不信仰が出るなら、それは自分の姿だ。いかに罪深いかを知る。普段は良い人間だと思っている。人よりはましであり、いっぱしだと。

自分が思っているより、幾倍も罪深い者であり、しかし、そんな事はご存じの上で、主は愛していて下さる。十字架を新たに知り、深められる。

紛れもなく自分のための十字架であり、十字架によって世界に死に、自分自身にも死んだ事を経験して行く。

「苦しみにあった事は幸せでした」の通り、苦しみを通して、主のご愛と慈しみを知る。
ヨブも「うわさで聞いていたが、苦しみを通して、この目で見た」と言った。

主は試練の中で、誰も「知らなかったマナを」を下さる。
苦しみの中でしか味わえない御言葉を食する。その言葉は甘く、慰め、癒し、力とされる。
新しい1年も主を喜び、訓練は訓練として受け止めて前進して行こう。
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明けましておめでとうございます。日ごとに、朝ごとに、み言葉を聞き、新しく神様を知って行く一年となればと思っています。今年も宜しくお願いいたします。