2009年05月02日(土)

「主が私をあなたの手に渡されたのに、私を殺さなかったからだ」Tサムエル24:18

ダビデはサウルに妬まれ、そのため命までつけ狙われ、追い回された。ダビデは
常に身の危険に逃げ回り、それは非常なる苦難であった。

ある時、ダビデがほら穴の奥にいると、何とサウルが用を足すために入って来た
のだ。ずっとダビデの悲惨な苦しみを見続けて来た部下は、今こそが、主が与え
たチャンスだと、ダビデに訴える。

主がダビデにサウルを渡された。この時を逃せばもう二度とチャンスは無いと。
ダビデにも、そのような思いが脳裏を駆け巡っただろう。

こんな状況は偶然には有り得ない。もしかして、主が正しく、今までの祈りに答
えて与えて下さったのではないか。きっとそうに違いない・・。

何の悪い事もしていないのに、命を狙われ、辛い逃亡の生活。それもいつ殺され
るかわからない、死と隣り合わせの非常なる恐怖と不安の日々。チャンスだ。心
に葛藤があったろう。
しかし、ダビデはサウル殺害を思いとどまった。主に油そそがれた方に、手を下
すなど絶対にできないことだと。

「主が」油注がれた、と「主に」目を向けたからだ。ダビデの中心はいつも
「主」であった。
このような苦境の中でも、どこまでも中心は「主」であった。だからダビデは王
として用いられた。

苦しい時、自分の事でいっぱいで、自己憐憫に陥りそうになる。しかし「主」に
目を転じ、「主」を中心にするなら、そこで、主が見ておられるように、状況を
見るように、変えられて行く。

その時、判断が守られ、又、状況は変わらないが、心には不思議な、主の平安を
経験する。

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自分に目を向け、自分中心に状況を見るなら、まず自分に都合の良いように判断
してしまい、主の御心からそれてしまう。主のお心は?御言葉はどう言っている
のか?まず自分と状況から目を離し、目を「主」に転じよう。