2009年08月02日(日)

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る」詩篇62:1

                       

信仰生活を歩み始めると、信仰人生、自分の思い通りにはならない、という事が
わかってくる。神の思いと自分の思いが違うのだ。自分の思いとしては、これが
最善!と思うが、そのように事は運ばない。

神の思いは異なる。そして振り返る時、自分の思い通りにならなくて良かった!
と必ず思える。あのまま進んでいたなら、恐るべき高慢に陥っていたと。

しかし、今、目の前の事が思い通りにならないと、同じように焦りや不安で一杯
になる。神の方法と神の時がある事を覚えよう。絶妙のタイミングで神は事をさ
れる。

神の定めた「時」がある。人は先が全く見えない。目先の事しかわからない。神
は何もかも見通しておられる。その神を信頼しよう。又、人は自己中心というメ
ガネをかけて見るので、物事が歪んで見える。

自分を中心にして見るので、最悪にしか見えないが、神の素晴らしいご計画が
ある。事態も状況も何もかもが、混乱状態に見えるが、実は素晴らしい計画が
着々と進行している。刺繍の裏は、糸がグチャグチャだが、表は、綺麗な絵が織
りなされている。その絵は「神の栄光」そして「愛」だ。

ヤコブは「私も失う時には失うのだ」と覚悟した。ヨセフもシメオンもベニヤミ
ンも失ったかに見えた。最悪の絶望的状況だ。しかし実際は何も失っておらず、
ヨセフと再会、飢饉から一族は命を救われ、家族皆で暮らせるという最高の幸せ
が伏せられていた。

今、最悪の状況なら、神を待ち望もう。信じていよう。救いが神から来る。

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時に、目の前が、どうにもならない状況である事を経験する。しかし、神に間違
いはない。「神を待ち望め」が答えだ。以前、神を待ち望んで、今がある。神は
真実であられた。救いは神から来る。神を見上げて、神を待ち望もう。