2009年09月01日(火)

「そればかりでなく患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を・・」ローマ4:3



私たちが望むのは、平穏無事、安全だろうか。日々の生活が平穏であるように、一生が無事でありたい。安全な所に身を置いていたい。又、コントロールしていたい。
コントロールできないと不安で仕方がない。

しかし、一生、安全で無事平穏であれば、神を求める事は決して無いのではないか。順風の時は、神無しで生きる。自分の力で生きる事ができて、神が必要無い。自分にはどうにも出来ない、絶体絶命の困難な中で、初めて神を求める。

私たちの信仰の成長も同様だ。何の問題も無いところで、決して信仰の成長は無い。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意・・これらの実はいつ結ぶのだろう。
目の前に、どうしても愛する事のできない人が置かれて初めて、どれだけ頑張っても愛せない自分を知り、苦悶のどん底で自分の限界を認め、主に明け渡した時に愛が与えられる。

全然喜べない環境、感謝などとてもできない状況に置かれて、喜びを知る。
平安が全く持てない事態、境遇を通らされて真の平安を知る。寛容になれない状況、全く寛容のかけらすら無い自分を知り、寛容にされる。

一つ一つの出来事、状況を通り、自我だけの醜い真の自分を知り、主の品性へと変えられて行く。窮地に陥り、自分が変えられ、御霊の実が与えられて行く。
患難は望まないが、感謝だ。
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患難、試練の中で忍耐できない自分を知り、いかに主に頼っていないかも思い知らされる。自分の都合のいいような解決しか求めていないなら、痛みにあっている意味がない。主に明け渡せますように。