2009年10月02日(金)

「イエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた」マルコ4:38



「向こう岸に渡る」というような大きな行動をおこす時は、まずはっきりと主の御言葉を与えられ、主のみこころを確信してから、行動すべきだ。
しかし、私たちはどうだろう。みこころを歩み始め、ちょっと向かい風が吹き、行く手を阻まれると、「もしかして、みこころではなかったのでは」と非常な不安に襲われる。

又、「何かの罪に対する罰では」と恐れたりする。状況の変化に、ほんろうされて、上がったり下がったり、振り回されるのも、状況だけで判断するのも、信仰による歩みではない。御言葉を与えられて出帆しても、波や風を見て、御言葉から目を離した
途端うろたえる。

御言葉の約束を握っていれば、波や風で揺らぐ事はない。舟が木の葉のように揺れ、浸水し、沈没するかに見える状況は、恐怖を覚える現実だ。しかし、同じ舟に主がおられることが、もう一つの大きな現実だ。この現実であるお方は、ひと言葉で、風を静められる。

主が同船しておられる事を覚えよう。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」という弟子たちに「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのはどうしたことです」と言われた。今、波風逆巻く状況に恐れを感じている
だろうか。主が同船しておられ、「向こう岸へ渡ろう」と言われた通りに成就する事を覚えよう。
-----------------
御心を確信したはずでも、波、風を見ると揺らぐ。けれどそれが御心であるなら必ず向こう岸に渡れる。大丈夫だろうか・・の声に惑わされず、その背後におられる主を見ていよう。