2009年12月02日(水)

「彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6


病の人に「よくなりたいか」と言うと「当たり前」に思える。なぜ、主はこのような質問をされたのだろう。「よくなりたいか」という事は、はっきりと今、病気だという事だ。

その人自身の現状にしっかり向き合わさせ、自分の本当の願いを確認させるためだった。「よくなることができるか」とは言われず、あくまでも「よくなりたいか」であり、直りたいという意志だ。

問いかけられた時、初めて、人は自分の心が探られる。その時、彼の応答は「誰も助けてくれない。自分には助けがない。介助者のいる者が先に降りて行く。自分一人ではどうにもならない」だった。

「はい、よくないたい」ではなく、人のせいにし、環境のせいにした。私たちも、何度繰り返してもダメで、同じ悩みにずっと悩まされ、どうやっても状況が変わらない時、心が萎えてしまい、諦めてしまうかもしれない。

どうせやってもダメだと。仕方がない。そこまでエネルギーが無い。「本当に愛したいのか?本当に変わりたいのか?本当に御言葉に従いたいのか?」主は問われる。

「そうは思うのですが・・ああで、こうで・・」が自分の姿だろうか。彼には癒される信仰があった。人依存で、人のせいにしていた自分の状態に気づいた。

「起きて歩きなさい」に、信仰持って応答した。主は彼の内にあった、彼の信仰を引き出された。あなたにも今、主が問うておられる「よくなりたいか」
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どうせ駄目、だから駄目と言い訳の中にいるのは、起きて歩くより楽な場合がある。自分の心の状態はどうだろう。悲観的材料を集めてはそこにぬくぬくとしていないだろうか。主の問いかけに「よくなりたい」と答えて行きたい。