2010年03月02日(火)

「しかし、あなたが赦してくださるからこそあなたは人に恐れられます」詩編130:4


ある学生が、学校のクラブで部長をしていた。ある時、健康上の事で、リーダーを辞退し、他の人に代わってもらった。責任を感じていたので、ほっと安堵し、気持ちが楽になった。しばらくして、どうしても新しい部長のために、祈れない自分に気づいた。祝福を祈れない。

どうして祈れないのか、心をよく探ると、自分の底にある妬みに気づかされた。皆の人気が新しいリーダーに向かい、相談事を持って行く事に嫉妬していた。自分から辞退した事であり、肩の荷が下りたと感じていただけに、認める事ができなかった。

主の御前に、心から悔い改め、赦しを受け取った。祝福を祈る者に変えられた。自分ではなく御霊の働きであった。別の人は、教会の奉仕において、意識する相手と、競争し、張り合っている自分に気づかされ、愕然とした。

ライバル視し、負けたくないと思っている。「まだ肉に属しているからです。妬みや争い・・ただの人のように歩んでいる」その通りであった。肉は奉仕をすら、自分のプライドのために用いてしまう。

恐ろしい自分の姿に、ことごとくを主の御前に告白し、心底悔い改めた。奉仕をする資格はない、止めようと思った。
しかし、その時、新たな奉仕の依頼が来た。主を畏れた。常に悔い改めて歩もう。豊かな赦しがいつも備えられている。
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罪を示されるその憐み、そして罪を赦す権威がある神に告白できる恵み、十字架でもうその罪は赦しているよと言って下さる主の御愛。その主にあって相応しい歩みをして行きたい。