2010年04月01日(木)

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」Tテサロニケ5:16




苦しい、辛い状況の中にある時、誰しも、「こんな状況の中で感謝なんて無理、できるわけがない」と思う。しかし、御言葉はどう言っているだろう。感謝できるから、感謝せよ、とは言っていない。喜べるから、喜べ、とは言っていない。

いつも喜んでいなさい。すべての事について感謝しなさい」だ。なぜ感謝できるかと言うと、信仰者はすべての事に、神の主権を認めるからだ。一つ残らず、すべてに神の支配を認め、神には目的があり、計画があり、意図を持っておられる事を信じるゆえだ。

意味の無い事は一つもない。無駄な事も一つとして無い。私たちを聖めるため、気づきを与えるため、一段階成長させるため、実は危険な状態から救い出すため、もっとひどい事にならないため、私たちの益のために許されている。

人からの攻撃、批判を受けた時、肉は相手を憎み、恨み、何倍もの復讐心が湧き上がる。しかし、それで苦しむのは自分自身だ。平安が失せ、喜びは無くなり、心は悶々状態で、暗く苦しく辛いばかりだ。「感謝できませんが、感謝できるよう助けて下さい」と気持ちをそのまま祈って行こう。

感謝できないが、しかし、意志を向けて、感謝を選び取ろう。「感謝できませんが、感謝します」と。その選択を祝福して下さる。不思議が起こり、心が変えられ、平安が臨む。
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感謝できない状況で「感謝します」と言う時、私達はしっかりと神様を見ている。不平不満の感情に落ち込む時、この御言葉を思い「今はわからないけれど感謝します!」と喜んでみよう。肉から御神に思いが変わり感謝の祈りに変わらないだろうか。