2010年06月01日(火)

「民衆は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の使いがヘロデを打った」使徒12:22


ヘロデ王と、ツロとシドンの住民との間で、何かがあったようで、王はひどく怒っていた。彼らは、王の国から食糧を得ているので、それをストップされると、死活問題だ。もう瀬戸際の中、王を訪ね、侍従に取り入り、和解を願った。王が座に着き、演説をすると、人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続け
た。それは王の歓心を買うためであり、媚びでありへつらいであった。

ようやく叶った面会であり、何としてでも食糧を手に入れたい。王をこれ以上無いほどに誉めそやし、持ち上げた。食糧の供給が、王の機嫌一つであり、王の一言にかかっている。心にも無い言葉でも、何でも構わない、食糧を得るための手段であり、方策だ。

しかし、どうだろう。人に誉めそやされ、持ち上げられ、心地よい快感が誰しもある。肉の思いだ。悪い気はしない。しかし、それに酔いしれて自分を見失って行く。学校で、職場で、近隣で、他の人が、自分をどう見ているのか。肉は、いつも気になる。他人が見ている目を意識して、自分を生きてしまい、自分が自分で無くなってしまう。神の御前でなく、人の前で生きてしまう。

神の栄光を口にしながら、関心は自分の栄光になっている。ヘロデは他人事ではない。「人が気になり、人からの誉れに心奪われ、良く見られたい者です」と主の御前に祈って行こう。神の栄光を求める者に、主が変えて行って下さる。
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人に賞賛を受けた時、それを神様に感謝し謙遜に栄光を返すことが出来たなら、人の目だけに反応する自分から守られる。自分自身の誉れに関心がなくなるよう祈って行きたい。