2010年09月01日(水)

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり」エレミヤ29:11


ユダヤの民にとって、バビロン捕囚は、国を追われ、捕らえられて行く事であり、状況だけを見るなら、絶望のどん底であり、暗黒であった。どんなに悲惨な事であったろう。それは艱難であり、苦しみであり、混乱であった。

しかし、結果的に見れば、それは将来と平安と希望であった。なぜなら、ユダヤの民は、捕囚の試練により悔い改めて神に立ち返れたからだ。厳しい辛い試練であったが、信仰を回復する事ができた。エレミヤの預言通り、70年後にエルサレムに帰還する事になる。神の大きな奇跡が成し遂げられる。

「あなたがたのために立てている計画」、バビロン捕囚は不運で起きた事でなく、人間のわざでもなく、神の御手による計画だと言われる。それも見えるところは絶望と大混乱に関わらず、将来と平安と希望のための計画だと。

縦糸と横糸が織りなされて、綺麗な素晴らしい織物が出来上がるように、神は艱難の中で、苦しみの中で練り込み、御霊と一つにして行って下さる。

私たちにも、突如の試練が降りかかる。ある日突然気がつくと、厳しい苦しい辛い事態に遭遇する。しかし、信仰人生で起こる一つ一つの出来事は、偶然でなく不運なのではなく、すべて神の綿密なるご計画だ。
----------------
すべての起こる事は神様からと認めて生きる事が信仰生活。この世でたった一人であるかのように、私を今も愛し導いておられる。どこかを削り、砕き、自分で生きる者から神様に頼る平安を与えるためのご計画だと、しっかり受け止めて生きて行きたい。