2010年10月01日(金)

「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て」(詩篇37:7)



「主を待つ」とは、どんなイメージがあるだろう。店で並んで順番を待つとか、病院で呼ばれるのを待つ、又は、病気が回復するのを待つような、静かに、じっと待つという、穏やかな感覚で思うかもしれない。しかし、「待つ」とは、「女性が出産する時のような痛み」という意味がある。

主の御前に、静まり耐え忍んで主を待つとは、激しい苦痛の中で、神が良くして下さる事を信じて、期待し、期待し続けるのだ。ダビデは苦悩の中で、身に生死の危険が迫る中で、神と交わった。そして、心の内の何もかもを神に話した。
心の恐怖、不安、心配、思い煩い、何もかもを、心の底を主に打ち明け、そしてダビデは、深い痛みの中で神を期待した。

神は、常に正直な心を愛し、受け止めて下さる。神はダビデを受け止めて下さった。私達はどうだろう。現状を認めるのは、余りにも惨めで受け入れられず、傷ついていない振りをする。認めない。プライドが許さないのだ。しかし、決して振りをしてはいけない。逃げたり、避けたり、無視してはいけない。

自分が傷ついた事を認めない限り、癒しは無い。自分自身が正直に神に向かう時、神との間に信頼関係ができる。神は常に真実だが、こちらが真実に自分を表わさないゆえ、交わりが成り立たない。正直に気持ちを向ける時、神と交わりができて、神のお心を自分が知ることができる。
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私達は痛みの後に必ず神様からの思いを超えた祝福の答えがあることを知っている。痛みは依然としてあるが、やせ我慢するのではなく今の痛みを認知し神様に言っていこう。神様が必ず、時に応じた力を与えて下さる。