2011年06月01日(水)

「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9

アブラハムは、故郷を出て、約束の地へと立つ時に、甥のロトも伴った。やがて神の祝福ゆえ、家畜が増え、土地が狭すぎて、双方の使用人同士で、もめるようになった。解決策が必要になり、アブラハムはロトに提案した。別れる事、目前の広大な土地の選択権をロトに与える事、好きな土地を選ぶようにと。

争いとは、自分の利益を求める事から起こる。相手を優先すれば、自分が損をするとの考えだ。譲り合えば争いは起こらない。アブラハムは信仰に立った。すべてを神に明け渡し、委ねていたので、ロトに優先権を与える事ができた。アブラハムはどこまでも神を信頼していた。

ロトは、「目を上げて見渡すと」の通り、見えない神ではなく、自分の目で見た良い地、肥沃な地を選んだ。しかしその後、アブラハムに「さあ、目を上げて見渡しなさい」「この地全部を」「あなたとあなたの子孫に与える」と言われた。神に明け渡したアブラハムは、結局全部を得る事になる。

一見、相手に選択権を与え損をする道だが、自分を捨てる十字架の道、結局、大きな祝福を刈り取る。ロトは、叔父に譲る事もなく、判断基準に神はなく、祈りも無かった。ロトが住んだソドムは、罪の腐敗ゆえ滅ぼされ、財産はすべて失い、妻は塩の柱となり、娘達は後に罪を犯した。悲惨な結末となった。今、判断が必
要なら、心して祈ろう。自分の判断には欲が入り、目が曇る。主の御心を求めよう。
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私達はこの世にあって目に見えるところを信じやすく、また誘惑に負けやすい者だ。だからこそ、つまずかないよう行く道をいつも主に聞き、はっきりとした主の導きを確信しながら進んでいこう。