2011年07月02日(土)

「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」Uサムエル12:13



ダビデは、姦淫と殺人という二重の大罪を犯してしまった。バテシバとの姦淫をすぐに悔い改めたら良かったが、それを隠ぺいしようとし、夫であるウリヤ殺害にまで至った。犯してしまった事であり、時間を元に戻すことは不可能だ。自分は王であり、意のままであり、隠し続けていたが、神はナタンを遣わされた。

ナタンの指摘によって、ダビデは自分の罪として認めた。これはダビデの素晴らしいところであった。「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを・・」と詩編51にあるように、私たちが罪を犯す時に、たとえ人に対して犯す罪であっても、それは神に対する罪だ。だから、やられたのだから、報復してもよいという事にはならない。報復するなら、神に罪を犯す事になる。

神は「わたしが報いをする」から報復するなと言われる。私たちが罪を犯す時、人に対しであっても、それは神に対して犯す罪であることをわきまえていよう。そして、「自分が」罪を犯したのであり、環境でも、他人のせいでもない。環境や人のせいにしている限り、自分は悪くないのであり、赦しを受け取る事は不可能だ。

なぜなら、十字架の血潮は「罪人」のためだけであるからだ。ダビデはバテシバのせいにしなかった。正面から自分の罪を認めて、赦しを受けた。もし、認めるなら、罪は完全に赦される。
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罪は神に対して犯しているとの認識なら、その言い訳など一つもないはずだ。さまざまな動機があり罪を犯してしまっても、しっかりと罪と認め神様に直ちに悔い改め赦しを受け取り、再び出直すべきだ。