2011年10月02日(日)

「それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷の ゆえに、あなたがたは、いやされたのです」Tペテロ2:24



ある父親の体験談だ。ある時、子供がいじめに会っているのではと思えた。持ち
物が壊れ、服が土だらけだったり、様子がおかしかった。その内、腹痛を訴え、
食欲失せ、身体に出て来た。そして不登校になった。

父親の価値観は能力にあり、出来る事が良い事、子供には良い成績を望み、普段
から要求して来ていた。子供は荒れて、怒りが父親に向かった。父のせいでこう
なった。溜まった怒りは爆発し、家庭内暴力となり、家の中は滅茶苦茶になり、
凄まじい様相を呈した。仕事も責任重く、重圧であり、仕事も家庭もせっぱ詰ま
っていた。

考えたくなくて、浴びるように飲酒した。家庭崩壊だった。このままでは、もう
何もどうにもならず、つてがあったので、藁にもすがるように、聖書カウンセリ
ングを受けた。
カウンセリングを重ねて行く内に、自分の姿が見えて来た。苦しみの余り、この
子がいなければとの思い、仕事しか頭になく、子供と対話した事が無い。気持を
思い量った事もなく、ただ自分の思いを押しつけて来たこと、愛情表現をした事
がないこと・・一つ一つが心に刺さり、心底悔い改めた。

主の十字架がまさに自分のためであり、この自分の罪が贖われて、赦されたとわ
かった。何より罪ある自分が、あるがまま受け入れられたことがわかった。自分
が赦されたことの、感謝に溢れた。子供にも心底詫びた。その時、父子間のわだ
かまりがきれいに失せて、子供も癒されて行った。

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良かれと思い、正しいと思うが、肉で事を行なうと失敗してしまう。しかし、ど
んなに失敗しても、主の十字架があり、赦され、そして、やり直すことができる。
主の愛は変わることがなく、慈しみは絶えることがない。尚も益として下さると
は何というあわれみ。