2012年03月02日(金)

「主が彼に幻の中で、『アナニヤよ。』と言われたので、『主よ。ここにおりま す。』と答えた」使徒9:10


        
アナニヤはダマスコに住んでいた。当時、キリスト者は、激しい迫害の中、エル
サレムから方々に散らされ、国外にまで散らされた。しかし、それをユダヤ人た
ちは執拗に、徹底的に追った。青年サウロは、殺害の意に燃えて、大祭司にダマ
スコの諸会堂宛の手紙を書いてもらい、彼らをエルサレムに捕らえて来ようとし
ていた。その途上で、突然、天からの光を受けることになる。

一方、アナニヤは、迫り来る大変な危機に、必死に祈っていただろう。そんな時
に、「アナニヤよ」との御声を聞いた。どんなに心強かっただろう。しかし、そ
の主の言葉は、驚くべきものだった。迫害に迫害を重ねて来た、サウロに会いに
行くようにと。盲目になっている彼の開眼のために祈れと。

アナニヤはこの想定外の内容に、理解できず、彼は迫害者で・・と問うて行く。
主は、彼は選びの器であり、行けと答えられる。アナニヤはどうだったろう。
愛する人々、同胞を殺した相手だ。その相手の助けとなり、祈れと言われる。
あの迫害の鬼のようなサウロが、本当に回心したのだろうか。自分も殺されるか
も知れない。まさに命がけであったろう。それに本当に主の御声なのか。間違っ
て聞いているのでは?様々な思いがよぎったかも知れない。

しかし、アナニヤは従った。主はアナニヤをこのために選ばれたのであり、彼が
従うと知っておられた。彼は、常々ずっと、御声に耳を傾け、主との交わりの中
に生き、従い続けて来た弟子であった。それゆえ主の御声がわかり、従うことが
できた。私たちも日々の地道な交わりを大切にし、「主よ。ここにおります」と
答えよう。
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心をいつも主に向けて開き、御言葉や御霊の導きを聞いていよう。自分の強い思
い込みが、主の働きを妨げているかもしれない。いつでも応答していけるよう、
自分をまず脇に置き、主の御声を待とう。