2012年04月01日(日)

「主は私の泣く声を聞かれたのだ。主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈 りを受け入れられる」詩編6:9 



ダビデはサウル王の妬みを買い、サウルの嫉妬は憎しみとなり、ダビデは執拗に
命をつけ狙われる。実際、殺されかけ、その恐怖、不安はいかばかりであったろ
う。又、自分の実子からの謀反に会い、子供が歯向かって来るとは、どんなにか
心裂かれ苦悩であったろう。敵からも攻撃があり、病にも陥り、身も心もボロボ
ロの厳しい深刻な状況だ。

ダビデは神の心にかなった人だった。信仰者になると悩みが無くなるのではない。
問題は必ず来る。私達は苦しくて、とにかくその問題が去る事を願う。ただただ
逃れたい。しかし、苦しみの中でこそ、神が神であられる事を、身をもって知っ
て行く。

ダビデは「嘆きで疲れ果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、なすすべなく泣い
て泣いて嘆いた。苦しみの中でこそ、神との深い交わりに入れられる。それは苦
しみの中でしか得られない。

「主よ、いつまでですか、あなたは」と、正直な気持ちをありのままに、主にぶ
つけている。順境の時には決して経験出来ない。自分で何とかしようともがき、
走り回るのではなく、問題をすべて神に持ち出そう。自分で当たると空回りだ。

心を何もかもを注ぎ出し、苦しみ、悲しみ、辛さ、痛み、怒りを主に告げ、主に
寄りかかるのだ。神は受け止めて下さる。神との近い交わりを経験する。そして、
その祈りは聞かれる。神に叫び求める者は、平安に満たされて行く。

・・・・・・・・・・・・・
祈りを主は必ず聞いていて下さる。答えが自分の思い通りだとは限らないが、し
かし、どんな祈りもすべて聞いていて下さる。これは何という慰めだろう。気持
ちを受け止めて下さる。頭でぐるぐるせずに、その思いを主に告げよう。