2012年06月01日(金)

「シモン、シモン・・サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました」ルカ22:32



ペテロは主が十字架にかかられる、一番肝心なところで主を否定し、裏切ってしまった。サタンのふるいの中でのことだった。裏切りなど大きな部類の罪であり、主に対して取り返しのつかない事をしてしまった、何という事をしてしまったのだろう。後悔してもしきれない。以前、他の者たちが皆、主を捨てても、自分だけは大丈夫と豪語した。自信満々だった。

主はペテロの弱さをご存じだったが、ペテロは自分を知らなかった。それは肉の自信であり、自力に頼ったものだ。その満々の自信はもろくも砕け散った。主はペテロの内面をご存じで、ペテロをご自身昇天後の、指導者として見据えておられた。そのためにペテロを取り扱われた。そこには主の祈りがあった。「あなたの信仰がなくならないように」と。

信仰がなくならないとは、失敗し、罪を犯すが、悔い改めに導いて下さるということだ。ペテロは悔い改め、赦された。そして自分に頼る事のないように、ペテロの一番の急所を砕かれた。あなたも失敗に打ちのめされ、落胆し、もう立ち上がれないと思ったろうか。主はあなたを御手の中の器として、用いるために、その試みを通された。あなたを砕くためであった。主のための有用な器に造り変え、整えるためであった。もう自分に頼らないように。失敗をも益として下さる。自分の力でなく、神に頼る者と変えられる。
--------------
これでもクリスチャンかと落ち込んでしまうような大きな失敗、罪も経験するだろう。その時、主はペテロと同じように、私達の信仰がなくならないようにと祈って下さっている。信仰さえあれば、悔い改め、必ず益とされ再び立ち上がれる。