2013年03月02日(土)

「・・自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いを もって、次々に教師たちを自分のために寄せ集め、真理から耳をそ むけ」Uテモテ3:3

                
               
サムエルは「はい、ここにおります。主よ、お話ください」と、主
の御声に聞き入った。「はい、ここにおります」は、「何であれ、
おっしゃる事に、お従いします」のスタンスだ。サムエルはその姿
勢があったから、御声を聞くことができた。

私たちはどうだろう。自分に都合の良い事しか耳に入らないだろう
か。人は、自分の聞きたい事だけを聞いている、と言われているが、
肉は、都合の悪い事は聞きたくないものだ。耳をふさぎスルー
してしまう。ただただ、自分の願いを聞き届けて欲しい。願い通り
になって欲しい。余りに願いが強いと、願望以外のものは、耳に入
らなくなってしまう。

そして、尚かつ自分は聞いているつもりなので、極めて要注意だ。
無意識に、自分の願望でもって御言葉を読み込んでしまう。そうな
ると、御心と逆方向に向かう。まず自分自身を明け渡すことが大切
だ。もし思い通りでなくとも、受け取りますとの姿勢が大事だ。

その時、心が備えられ、御声が聞こえて来る。御心を知れる。又、
自分の甘い思いと違い、御言葉は時に非常に厳しい。「敵対する人
を、嫌いな人を愛しなさい」「あなたを傷つけた人を赦しなさい」
「ギクシャクしている相手と和解しなさい」。肉には、到底受け入
れられず、嫌な、したくない事だ。

しかし、弱さの中に恵みは十分、主が語って下さったからには、成
し遂げる力も共に与えて下さっている。御声を聞いたなら、すぐ従
おう。「必ずそれができるから」。

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肉の性質は、人生が自分の思い通りに、自分の都合の良いようにな
って欲しいと願う。しかしその思いが強いと、自分の思いしか見え
なくなってしまう。自分の思う最善と、主が思われる最善はしばし
ば違う。一旦主に明け渡そう。その時、御心へと導かれる。