2013年08月02日(金)

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです」ヘブル10:19


私たちはどうだろう。主に喜ばれる事を行なおうと決心するが、何度挫折した事だろう。日毎に、聖書を読むことが良いとはわかっているが、なかなか読めない。祈りが大切だと知っているが、何度も失敗する。朝、バタバタして、時間に追われ、つい御言葉と祈りをパスしてしまう。祈りが大切だと知らなくて、祈らないのではない。御言葉に従って生きる事の大切さを知っている。わかっているが、出来ない。

しかし、そこで落ち込んで、自分を責め、落胆するのでなく、だからこそ主がおられることを覚えよう。もし自分の力で、日々デボーションができて、良い行ないができるなら、主は必要無いことになる。あなたも「〜ねばならない」で心が縛られているだろうか。主を信じて、休息するのでなく、返って重荷にあえいでいるだろうか。ありのまま来なさいと言われているのに、良い行ないで御前に出ようとするだろうか。

祈り聖書を読み、御心に従っている事によって、大手を振って御前に出るだろうか。そうなら罪を犯すと、途端に出られなくなる。こういう状態だろうか。これなら、主によってではなく、自分の功績によって御前に出ている事になる。そうでなく、自分の状態に関係無く、イエスの血によって大胆に恐れなく、御前に出る事ができる。今日も、今も、自分のわざによってでなく、主イエスの血のゆえに、今のままで御前に受け入れられている。血によって御前に行ける。
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主の十字架の血潮が、良心の呵責から解放してくれる。ああすれば良かった、こうしなければ、の思いもそのまま持って24時間いつも主の前にいられる。