2013年10月01日(火) 「・・あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。お前が来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう」創世記27:33
「・・あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。お前が来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう」創世記27:33
ヤコブは、父イサクと兄エサウをだまして、祝福を奪い取った。 まるで詐欺だ。それが発覚した時に、イサクは激しく身震いして 「彼を祝福してしまった。彼は祝福されよう」と言った。エサウ は大声で泣き叫んだ。「私を、私も祝福して下さい」と。 しかし、イサクは、ヤコブが姑息な手段で奪い取った祝福を認め たのだ。それは、実はイサクは、「二つの国があなたの胎内にあ り、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民 より強く、兄が弟に仕える」と言われた主の御心を知っていたか らだった。エサウがヤコブに仕えるというのが、主の御旨であっ た。 「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成 る」「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計った とおりに成就する」。人の思いや考え、感情は様々あるが、主の 御心だけが成る。エサウもエサウで、霊的資質に欠けていた。 お腹がすいて死にそうな時に「長子の権利など、何になろう」と 豆の煮物のために、何と売り渡してしまうのだ。「こうして長子 の権利を軽蔑した」と。 ヤコブもヤコブで、狡猾な詐欺行為をせずとも、主を信じて委ね ておれば、主が働かれ、主の御心が必ず成し遂げられて行くのを 拝する事ができたはずだ。イサクも、やはり主のご計画が成る事 を悟っただろう。祝福を自分で奪い取るのでなく、主を信じ委ね て行くことが最善だ。 ---------- 振り返ると主に委ねず突っ走っている時には、必ず何処かに支障 が現れ、遠回りであったと知らされる。自分の思いを主に委ねて 行こう。状況に関係なくいつも主が共におられる平安があり、結 果は感謝で終わる。