2014年06月01日(日)

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエ ジプト人の主人の家にいた」創世記39:2 


人には、多くのプランがある。あれを、これをしよう、様々な思い
がある。「しかし主のはかりごとだけが成る」の通り御心だけが成
就する。自分の肉の思いがあれこれあるが、自分の思い通りになら
ない。

ヨセフは兄達たちの妬みを買い、隊商に売られ、全く見知らぬ異国
の地へ。ヨセフの孤独、不安、恐れはどんなものだったろう。しか
し、そこで主のゆえに、主人に忠実に仕えた。主人に信頼を寄せら
れ、全財産を任せられた。「主がヨセフと共におられたので」が鍵
だ。これは主による事であった。

しかし次には、主人の妻の悪巧みで、無実の罪で投獄に。が、そこ
でも「主が共におられ」、監獄長の心にかない、全囚人の管理を任
された。主によることであった。やがて出獄かと思いきや、献酌官
長との約束は忘れられ、尚も2年が過ぎた。

神の時は何と長いのだろう。結果的に2年だが、その渦中では、先
は全く見えない。どんなに試された事だろう。最終的に総理大臣と
なり、飢饉からヤコブ達を救う事になる。命を救うための神の大き
な計画であったことがわかる。

ヨセフにも自分のプランがあったろう。しかし、神の計画を受け入
れ、砕かれ、信仰も品性も鍛えられ、練られ、使命を全うできた。
主が私たちとも共におられる。何があっても、主から来ている。そ
こに主を認め、従って行こう。主の深いご計画がある。

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思い通りでない環境、目の前の事態、偶然ではなく、たまたまでは
なく、そこに主のご計画があり意図がある。主に視点を置くなら、
パズルが埋められて行く。主が教えようとされていることが悟れる
よう祈ろう。