2014年12月01日(月)

「すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい』」マタイ14:18



主の話を聞きに来た人々が、男だけで五千人、女、子供を入れると
更に倍以上になる。時刻も、もう回って来た。その人々に対してど
うすれば良いのか。弟子たちの考えは「群衆を解散させ、めいめい
で食物を買うように」だった。これはこの状況で、妥当な考えであ
り、良いプランであり、常識にかなった案だ。

しかし、主のお心は違った。「あなたがたで食べ物を上げなさい」
と。「え?」と弟子たちは思ったことだろう。こんなに大勢の人々
にどうやって?店など無いし、あってもこんなに大勢の分など不可
能だと。そして手元にあったものは、五つのパンと二匹の魚のみで
あった。「これよりほかありません」。

私たちも目の前の状況と自分だけを見て、判断してしまうだろうか。
この大きな問題に自分の能力では無理、山ほどの必要に自分に何が
出来よう、自分の力など、自分の持ち物など焼け石に水だ。何にも
ならない。気が遠くなるほど膨大な事態を前に、手持ちは余りにも
僅かだ。

しかし、主がおられる事が抜け落ち、飛んでしまっている。主に不
可能は一つも無い。「それを、ここに持って来なさい」その僅かな
ものを、主のもとに渡すようにと。ここが秘訣だ。自分自身を明け
渡そう。こんな僅かなものが何になろう、と思っているだろうか。
主は、献げられたものを受け取り、いかに祝福されるかは、驚くば
かりだ。
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不可能か可能かを決断するとき、それは祈りなき判断、主なき心配
や配慮ではないだろうか。主はそこでしようとされることがあるか
もしれない。主の邪魔をしていないだろうか、祈り主に尋ねてみよ
う。