2015年04月01日(水)

「別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった」マタイ13:7




「みことばを聞くが」とあり、岩の上に落ちた種と同じだ。「岩
地に蒔かれるとは、みことばを聞くとすぐに喜んで受け入れるが」
とあり、すぐに喜んで受け入れるが、試練になると身を引いてし
まう。土の下には自我の固い岩があって、岩にさえぎられ、根が
下ろせない。そして枯れた。試練を与える主の主権、ご計画を認
めず、受け入れない固い心だ。その自我ゆえ、根ざせず枯れてし
まう。

しかし、茨の中に落ちる人は、従おうとしている人々だ。だが、
成長の過程で、いばらも生えて来る。そのいばらの方がどんどん
伸びて、いつしか御言葉をふさいで行く。せっかく芽が出て、伸
びようとしてるのに、いばらで、さえぎられる。いばらとは、
「世の心づかい」「富の惑わし」とある。

この世で生活する上の経済的なこと、仕事、家庭、対人関係、健
康などの様々な心配、思い煩いだ。この思い煩いが大きくなると、
御言葉をふさいでしまう。実が結べない。又、富への誘惑がある。
富が将来を保障し、夢を叶え、幸せをくれると勘違いする。

富を愛し、富に頼り、心を奪われるなら、御言葉をふさぎ、遮断
してしまう。御言葉がさえぎられると、平安なく喜びなく、いの
ちの無い、形だけの信仰生活となる。妨げているものを、明け渡
して行く時に、実を結んで行く。御霊の実は、愛、喜び、平安・
・だ。
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神様を信じたときに受けた全き主の平安が、時と共に茨にふさが
れている。主が人生の全てに関わっていてくださるのに恐れたり
悩んだりする。今、平安のないところを御言葉に換えていこう。