2015年06月02日(火) 「その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません」ヨハネ1:27
「その方は私のあとから来られる方で、私はその方のくつのひもを解く値うちもありません」ヨハネ1:27
ユダヤ人たちが、人を遣わし、ヨハネに「あなたはどなたか」と問 わせた。バプテスマのヨハネが、「キリストか?」と思った人々が いた。しかしヨハネは、自分はキリストではないと、明言した。彼 は人々が主を信じるために、道を整え、導くという自分の役割をよ く理解していた。その使命を果たす事で、主の栄光を現わした。 謙遜とは、自分の位置と役割を心得ることだ。ヨハネは、自分をわ きまえていたので、自分の立ち位置を守り、そして、自分の役割に 心から満足していた。人は、自分が賞賛を受ける時、どうしても主 の栄光を自分が奪ってしまう。人からの賞賛は大きな誘惑だ。人に 認められ、評価される事は嬉しい。肉はその誘惑に勝てない。 しかしヨハネは、弟子たちが、主に妬みを抱いた時に「人は天から 与えられるのでなければ、何も受けることはできない。主は盛んに なられ、自分は衰えなければならない」と言った。普通、人が、自 分より大いに用いられていたら、どうだろう。妬みの誘惑が来る。 しかし、ヨハネは主が盛んになられ、自分が衰える事を受け入れて いた。 自分の使命を果たす事に、大きな喜びを抱いていたからだ。なぜな ら、ヨハネは主に愛され、「ヨハネよりすぐれた人は出なかった」 と主から認められていた。私たちもすでに主から愛され、認められ ている。それゆえ、自分の遣わされた場で役割を果たして行くこと、 そこに喜びと真の満足がある。 ------------ 天から与えられるものでなければ何も受けることはできない。仕事 の評価や経済的な満たし、それを神に感謝し喜ぶ心も、全て神が与 えてくださっるからできる。よくわきまえていたい。