2015年07月01日(水) 「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリスト の名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20
「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリスト の名によって父なる神に感謝しなさい」エペソ5:20
私たちは、病気になった時、どうだろう。とにかく激痛を何とかし て欲しくて、いやされるよう必死になって祈る。祈りは切実だ。そ して快復し、元気になると、病気の時には、あんなにすがり祈った のに、祈りは省略になり、寝ていた間の仕事の遅れを取り戻すこと に忙しい。こなさねばならない事柄は山積みだ。 感謝はどこへ行ったのだろう。困った時の神頼みで、問題が解決し た時は感謝するのだが、なかなか感謝が続かない。問題が無くなる や、自分の力で生きて行く。主が飛んでしまう。人間の弱さで、す ぐに感謝を忘れてしまう。 いやされた十人のらい病人の箇所で、主は感謝するために戻って来 た、サマリヤ人を大変喜ばれた。「自分のいやされたことがわかる と、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もと にひれ伏して感謝した」。十人いやされたのではないか。九人はど こにいるのかと。 九人は喜んで、主のもとを去り、どこかへ行ってしまった。私たち もどうだろう。病気の時は、普通に生活できていることが、大きな 恵みだと思う。しかし元気になると、すべてが当たり前で、感謝が 吹き飛んでしまう。 入院した人が「朝起きる度に、ああ今日もこうやって起きることが 出来て感謝だなあと、心底思えます。そんなこと思った事もなかっ たです。病気になったことも感謝です」と言った。 自分自身も「感謝できない者です」「感謝が足らない者です」と、 主の御前に祈って行こう。感謝して行く人に、感謝すべき事を与え、 増し加えて下さる。 ・・・・・・・・・・・・ ハピーな事は感謝できるが、マイナスの事は感謝できない。だが 「すべてのこと」について感謝せよ、に意志を向けて従ってみよう。 そこに主が働かれて、自分が変えられて、目の前の負の事態が違っ て見えて来る。何度も経験するところだ。