2015年08月02日(日)

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ・・」詩編23:2



私たちの心は、たえず肉へと行ってしまう。嫌な人を見ると、愛そ
うとするのでなく、嫌っていたいし、憎しみが湧いてくる。人の言
動にカチンと来ると、まず祈るよりも、言い返したい、反撃したい
と思う。傷つけられると、何倍にもして返したい。又、主に従うよ
りも、好きな事をしていたい、楽な方を選んでしまう。

祈るよりも、テレビを観ていたいし、趣味の方へ行きたいし、しゃ
べっていたい。一日の終わりには、罪の思いでいっぱいだ。そのま
ま眠りにつき、又、朝を迎える。それを繰り返していると、どんど
ん肉の方へと流されてしまう。そして自分で気づかないまま、知ら
ず知らずの内に、主を離れた生活へとさまよってしまう。

それを押しとどめてくれるのが、主との交わりであり、祈りだ。多
忙な中、ほんの少しでも主との交わりを持つ時に、御霊は、罪を示
し、悔い改めへと導かれる。悔い改めて、赦されて、又、新たに歩
んで行ける。どんな多忙の中でも、少しの時間でも、主に心を向け
る時、霊が新たにされる。

ある人が仕事上の難題を抱え、心身すり減らしていた。疲労もたま
り、イライラしピリピリしている自分、早朝出勤深夜勤務で、祈り
の時も全く持てていない。限界を感じ、昼休みに外へ出て、公園の
片隅で、主との交わりを持った。

あるがままを主に祈り、心底の助けを求めた。少しばかりの時間だ
ったが、主に触れて、新たにされたのがわかった。心に平安が戻っ
た。喜びと共に仕事に戻れた。

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流されていて気づかず、世の流れに飲み込まれてしまう。世の価値
観に影響され、肉の思いに流される。うすうす気づく時に、御霊の
示しをないがしろにせず、無視せず、主と交わろう。新たな力を
受けて、息を吹き返らせて下さる。