2015年11月01日(日) 「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなの を知って、彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6
「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなの を知って、彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6
アルコール依存症の人は、このように言い訳をする。どこに行って も、飲酒の誘惑の無い所がない、テレビを見れば酒のCM、街を歩け ば酒店だらけ、あちこちに誘惑があるから止められないと。酒があ る事が悪いと。ギャンブル依存症の人も、ギャンブルが存在する事 が悪いと言う。環境が悪いのだと。 しかし同じ環境にいて、アルコール依存症にもギャンブル依存症に もならない人々が大勢いる。これは環境のせいでは無いという事だ。 何が問題なのか。私達も形は違うが、同様だ。止められない習慣を 持っている。しかし、その問題の底にあるものは、「止められな い」のでなく、「止めたくない」自分がいる。そこを受け止め、認 めない限り、問題の解決はない。 人一倍思い煩い症の人もいるが、本当は思い煩っていたい。思い煩 いがないと不安で、思い煩いを得て安心する。まるで思い煩い依存 だ。おかしな話だが、心の底を見ると認めざるを得ない。主はいつ でも「よくなりたいか」と問うていて下さる。出来るかと問われな い。「・・したいか」だ。 本当に良くなりたいのだろうか。余りに長いと、病気に甘んじてい る方が楽になって来たりする。自分で責任を取ることから逃げたい。 その床を取り上げて、歩けと。言い訳せず、自分の本当の姿を認め、 無力を認める時、主が、いやしを与えて下さる。まず心に平安を与 えて導いて行って下さる。 ・・・・・・・・・・ だいたい問題に、自分に、主に、向き合いたくなくて、あいまいに しておきたかったり、逃げていたかったりする。自分の心がどうだ ろう。しかし、主はよくなりたいかと、問うて下さっている。応え て行きたい。